オニヤンマ改変(NEO)

主にツイッターログ

本日の授業

今日は何処へ行くのかなーと思いきや、次回の授業に向けての事前学習でした。
輪違屋』という、嶋原に現存する唯一の置屋にいる太夫さん(日本に4,5人しか居ない)の一人である、司太夫さんが大学の教室で講義をしにいらして下さりました。

自分の復習もかねて太夫さん、舞妓さん、芸妓さんについて紹介していこうかな(自分の言葉で書いているからわかりづらいと思われる)。

太夫

起源は公家(武家)の女性が家計が苦しくなったので、自分の芸(舞・お囃子・茶道等)で働き稼ぎに出たところから。

  • 正五位をもつ(天皇の謁見が許された)
  • 着物は十二単を簡略化したものである。
  • 歌舞音曲のほか茶道・華道・香道・書道・俳諧などの一般教養*1を身につけている。
太夫(こったい)と花魁(おいらん)の違い。
  • 太夫…『芸』を主体とし、位を持つ。妓女の最高峰。京都の嶋原*2にしか居ない。『こったい』は公家言葉が変化したもの。
  • 花魁…『体』を主体とする、娼妓(女郎)の最高峰。吉原ほか各地に居る。『おいらん』は『おいら、おら』という田舎訛りからきたもの。

芸妓・舞妓

元々は水茶屋のお茶汲み娘さん(今で云う喫茶店のウェイトレス)。少しでもお客さんが増えるようにともてなしを工夫していった結果、今の舞妓・芸妓さんとなった。

  • 位は無い
  • 江戸時代の町娘の姿。
  • 歌舞音曲(舞・三味線・囃子など)・茶道
年齢制限は?

舞妓…15〜20歳前後(が多いが、基本的にいつまでやっても構わないらしい)
太夫・芸妓…年齢制限無し


はい、まぁこんな感じで。けっこう最近まで『花魁』と『太夫』の違いは、地域での呼び名が違うだけって思っていたのですが、全く異なるんですよね。おはずかしや…。
あと『京都の嶋原』と聞くと年配の方でも「あそこは遊郭、女郎の町」と思っている方が多いそうですが、本来はそうではなく、上で説明したような太夫さんや芸妓さんやらをたくさん抱えているいわばプロダクションとそのスーパーレディたちの仕事場である大宴会場の集合体だったそうです。嶋原が『女郎の町』と思われるようになったのは幕末の大火事でたくさんの置屋揚屋が消失したのが原因なんだとか。揚屋は大宴会場なのだから余程の財力がなければ再生は難しい。簡単に建てることが出来る女郎小屋(遊郭)ばかりが残ってしまった。
さらに追いうちをかけるように明治政府が出来る。維新志士は主に祇園御茶屋でみを匿って貰っていたので、新政府立ち上げでそのお礼と言わんばかりに祇園などの花街を保護。壬生寺(新撰組の屯所だった寺)付近にあった嶋原はさらに隔絶された存在となる。
文化衰退…そして現在、唯一太夫を置いている置屋輪違屋1件のみになりましたとさ。


他にもいっぱい裏話やら色々聞けて、ホント貴重な時間だったなぁと思いました。
次回輪違屋さんを訪れる時にはデジカメを是非ともGETしたいところだ。。。

*1:主に公家の女性の必須科目

*2:唯一の政府公認花街