オニヤンマ改変(NEO)

主にツイッターログ

やっぱ一人の世界が欲しいのかな

xfourtyx2005-11-22

友達がいる授業よりも、一人でぽつーんとしている授業の方が気合が入っている(楽しい)のは気のせいだろうか…。

最近ホント日に日に寒くなってきましたね。真冬になったら許されるものならば目出し帽を被って登校したいもんだなぁと話していたら「それじゃコンビニや銀行へは入れないね」と言われました。あと郵便局もだね!
そういえばヴィレヴァンにいろんな種類の目出し帽が売っていたな…。パンダの配色の目出し帽があって、それにバカウケしていたのはワタシです。

授業

本日は自分の好きな授業の一つでもある文化人類学の日でした。この授業、毎回映画を見ていく授業なんですが、その映画がまた『作られたもの』というより『記録されたもの』すなわちドキュメンタリー映画なワケですよ。だからかっちりと決められたストーリー構成ってのが無くて、ホントそのままを映し出しているので普通の映画を見る感覚とはまた違っていて面白いです。
今回見た映画は『リトアニアへの追憶』という邦題の映画でした。この映画を作ったジョナス・メカスという方は、1949年にナチスに追われアメリカへ亡命した詩人です。その方が『日記映画』と名づけて作ったのがこの作品。
自分の言葉で上手く説明できないので配られたレジュメから引用させていただきます…。

1949年、故郷からナチスに追われアメリカへ亡命したジョナス・メカス。言葉も通じないブルックリンで1台の16ミリ・カメラを手にしたメカスは日々の生活を日記のように撮り始めます。27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして風景。メカスは自在なカメラワークとたおやかな感受性でそれらの全てをみずみずしい映像と言葉でひとつの作品にまとめ上げました。この感動的な映像叙事詩はメカス自身の代表作であるばかりだけでなく、アメリカ・インディペント映画の不朽の名作として広く愛され続けています。
尚、この映画に描かれている彼の出身の村セミニシュケイは、いわば彼自身の追憶の中の存在というべきものであり、メカスのカメラは、彼の少年時代の痕跡や思い出に向けられているが、現在、セミニシュケイは廃村あつかいとなり、地図上にはなく、文字通りの追憶の中の存在となってしまったといいます。

はい、確かにこの通りで凄く景色が綺麗でした!!それも映画のためにわざわざ整えられたからキレイなんじゃなくて、そのままの状態がキレイなのだから感動的。そして16mmカメラで映し出された映像は、今のデジタル技術の“より鮮明な映像”とはまた違った味わいがありました。
でもコレ、いわば素人がカメラを持って映した映像だから、家庭用ビデオカメラで映した映像ですぐに気分が悪くなってしまう(乗り物酔いのような症状が発生する)人にはあまり薦められないですね…自分もちょっとそういう症状が出ちゃったので;;